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Consideration

高校生までは「友」とは同級生のことだった。1つ上からは「先輩」、1つ下からは「後輩」であり、それは「友」では無かった。初めてできた年下の「友」とは、ダンスで知り合った。もう記憶もさだかではないが、最初はやはり年の差を意識しながらの付き合いだったような気がする。しかし、幼稚園の頃からボスキャラだった私は、この年下の友人たちとの関係にもすんなりと馴染み、何かあればもちろん年功序列でリーダーの役を買って出ていた。それから社会人になり、年月と共に小さかった会社も人員も大きく変わり、私自身も気付いたら部下を抱えるようになっていた。アパレルだったこともあり、新人はおのずと年下ばかり。ボスキャラは不動のものとなっていった。

ここNYに来ても、出会う人はやはり年下が多く、それでもNYというカテゴリーとして捉えると、私はまだ新人類に入るので、ボスキャラを発揮するまでには至ってはいない。先日日本に一時帰国した際に、友人に「再放送の『アネゴ』を観てるんだけど、もうアネゴがまいくんにしか見えなくて」と言われ、思わずNYに戻ってからDVDでアネゴを観てしまった。感想としては、私は彼女ほど、お人好しではない。自分の幸せを投げ打ってまで他人を助けにいったりすることなど、もう無い。もう、と言うのは、社会人になる前は、正にアネゴのような性格だった。その友人とはもう10年もの付き合いなので、彼女にとって私はアネゴそのものなのだろう。

しかし最近では、長い間「上司」であったこと、年齢も三十路を過ぎたこともあって、アネゴはアネゴでも、敬意を示されることが多く、それは何てことの無い日常の中に存在し、私も普通にそれを受け入れていたことによって、ある部分が私に足りなくなっているのだということに気付いた。それは、「気遣い」である。例えば、荷物を持つ、例えば、奥の椅子に座る、例えば、注文をする、例えば、お酒を注ぐ(まあこれは、私はお酒を飲まないので必要の無いものだと思っているのだが)・・・諸々。社会人の時は最高な部下に囲まれ、彼らが何でもやってくれていた。そして知らないうちにそれが当たり前になってしまっていて、そんな風にして、私は「気遣い」に欠ける人間になっていたのだろう。昨日帰国した友人も、気付けば私にcomfortableな選択を常に与えてくれていた。

彼女が大荷物を抱えているのを知っていながら、それを持つということに気が回らなかった私。他人が「荷物持つよ」と言うのを聞いて「ヤベッ」と思うのだが、他人のそのような行動がないと、気付きもしない。多分こういうことは他の場面でも多々あることなのだと思う。今までにも何度か「ヤベッ」と思ったことがあり、特にそのことに対して意識はしていなかったのだが、それは直していかなければいけないところなのだと感じた。
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by inBrooklyn | 2006-07-19 12:28 | talk to myself
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