カテゴリ:talk to myself( 23 )

Get rid of the depression

わかりやすいくらい単純に、Collegeが始まると共に、depressionたるものから開放された。会計学の教授が初日の授業で、「恋愛のことで悩んでいる暇は無い。結婚している人は相手にこの数ヶ月間のことをとことん理解してもらえ、とにかく勉強してdegreeを取れ」と説いたように、その通りになった。少し前にプライドが傷つくちょっとした出来事があり、しかしそれが私の中で決定打となって、その後も彼が普通に電話をしてきた時には初めて怒りが湧いてきた。これ以上意味が無いことを続けても無駄なのである。と、恋愛(別れ)において初めて自分の方からそう思えたのかもしれない。別れに対しては常にpassiveだったから。あとは1日も早く、NYが春を迎えてくれれば。春めいた気候になりつつあったのだが、最近はまたもや氷点下を切る日々で(今現在も-10℃前後)、雪も降ったり止んだりしている。あともう少しの辛抱。暖かくなれば、もっと開放されていく。

私はこのspring semesterが終了する頃には、今までのような「なんだか良くわからないけれど・・・」という感触ではなく、小さくても自分自身が前進したと思える結果になるように取り組んでいきたい。そしてまだ始まったばかりではあるが、ビジネス学は、Collegeは、なかなかおもしろい。

"Success is a journey, not a destination."
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by inBrooklyn | 2007-03-09 16:47 | talk to myself

Speak out ①

最近自分のことについて考える機会が増えて、kind of depressionなのかもしれない。まずは未だに彼とのことが大きく私の心を占めている。別れると決めてからだらだら2ヶ月も経過してしまい、それからの私と言えば、ちっとも成長していない。お互いに想う気持ちが逆に膨れ上がってしまい、Back and forth。それでも決定打となる出来事が起こり、私はようやく自分のプライドを取り返した。そして私は色々なことを、ここがNYだから、ということを理由にしていたが、それだけではなくて、年齢のことも大きくaffectしているのだということに気付いた。31歳とは本当に微妙な年齢である。今回の彼の選択はただ単にGreen cardが欲しいということではなくて、全ては子供の為だけにやっていることだから、そこを言われると、子供がいない私にでも、それがthe best wayなのだということに無条件でagreeできた。

私には、子供も、伴侶もいない。それでもこの年齢で、多くの友人が「家庭」というものを築き、宝物の「子供」を授かっていくということを目の当たりにしてきて、そういう色んなことを私なりに体感した上で彼の子供のことを考えれば、自然と涙も出てきてしまうくらい。一方で、何かの理由で子供を出されるとなんとも耐え難い屈辱のようなものも同時に味わう。私には自分の命と引き換えにできるほどの、宝物は無い。こういったnegativeな考えは独りになる度に今までもさんざん味わってきて、やたらとカップルに目がいって、「なんでこいつらはつきあっているんだろう?」とか、「何でこいつに彼氏がいるんだろう?」と思ってみたり。それがここに来て「私は伴侶とこの先出会えるのだろうか?」「子供を産むことはできるのだろうか?」など、特に本当に素敵なパパや旦那さんを見た時など、そのヴォルテージはmaxとなり、「Why(何故)?」そして「How(どうやって)?」といった疑問にまで発展。これは同い年の男性の友人でさえも私と全く同じようなことを感じ始めているという。「うわー、うちら本当にもう31歳なんだね(T-T)」という現実。今すぐに結婚したい、ということではなくて、自分の将来に対し、不安要素が増えていくのである。

若い頃には、そんな悩みや不安はどこにも無かった。でも今は、結婚しているかしていないか、そして子供がいるかいないかによって同じ31歳でも、本当に違うlifeが繰り広げられている。そして多分、日々子供の世話に追われ、自分の時間というものが全く持てなかったり、とにかく家族を養うために日々働く同世代からすると、30歳でNYに渡り、学生を始めた私のどこかfreedomな生き方を羨ましいと思うのかもしれない。結局のところ、互いに無い者ねだりだったりするわけで。でもそれほどまでにくっきりと31歳同士の人生が分かれているというか。そういう部分を痛切に感じるようになってきた私は、子供のことを出されたら、もう無条件降伏するしかないというか。

そして、何故こんなことを考えるようになったのかと言えば、単純明快。別れを迎えたからである笑。自分が幸せな時には、この現実を何とも思わないどころか、freedomな恋愛を大いに楽しめる。まあ、要はそんなところだ。それでも次は一応、結婚を考えられるか考えられないか、子供がいるかいないか、を考慮して相手を選ぼうと思う。1度恋に落ちてしまったら、きっとそんなことはどうでもよくなってしまうのだろうが。・・・続く。
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by inBrooklyn | 2007-03-02 17:27 | talk to myself

F●ckin' Ass●ole!!!

1階の住人とシェアをしなければいけないbath roomは「ドアが閉まっていたら使用中」という暗黙の了解的なルールがあるので、いつも通り鍵を閉めずにシャワーを浴びた後身体を拭いていたら、住人の1人がドアを開けて入ってきてしまった。私は全く彼らとは交流が無いので、普段NYで何をしていてどういう人なのか全く知らないのだが、入ってきた男は年も多分40近い、オヤジだった。って言うか、カエル。気持ち悪い。何やってんだ、40過ぎでこんな安いアパートにシェアで住んで。多分何も考えずにトイレに急いで入ってきたのであろうが、それにしてもbath roomの前に立てば人の気配は感じられる。その注意力が欠陥している辺りもかなりキモイ。彼に興奮しながらその話をすると、笑いながら「まあ、相手も30過ぎの裸見ても、大して嬉しくもないでしょ笑」と。・・・そう、そうですね。私もオヤジに裸を見られて恥ずかしいなどという気持ちは無い。恥ずかしいどころか、タダ観しやがって、あのオヤジ、ぶん殴ってやりたい。キモイ。30も過ぎると私も堂々としたものだ。「キャー」と叫んでタオルで隠すわけでもなく、むしろkeep on仁王立ち。これまた別の意味で恐ろしいが。
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by inBrooklyn | 2006-11-08 09:52 | talk to myself

Discrimination

f0080357_15132669.jpgNYに来てからとても強く感じる私の日本人としての風潮の1つは、人種に対する偏見が強いということである。これは殆どの日本人が持ち合わせているもので、しかし私たちはそれに気付いていないことが多い。日本人はそれを表向きに口に出して伝えるということをしないから、尚更陰険さが目立つのかもしれない。特に私たちの在日韓国人や在日中国人、在日ブラジル人などへの偏見はとても強く、私もその1人である。以前どうしても気に入らない上司が実は在日中国人だということを知った時、「だからか」という思いに駆られた。今考えると、その「だからか」にはなんの理由も無く、どこかでアジア人を毛嫌いしている風潮が日本人にはあり、しかし改めてそのルーツを考えてみると、理由が思い当たらないのである。何故毛嫌いしているのか?何故そうと知っただけで一歩引いてしまうのか?答えのひとつは、日本が島国で、人口の95%が同種民族、つまり日本人だけで形成されているというところにある。結局のところ、どこを見回しても日本人だらけという環境で、そのことに何の疑問も持たないまま育ってきた私たちは、日本人以外の人種を異端者とみなしてしまう風潮が根付いてしまっているのである。実際私も彼の人となりを見ようとする前に、異端者扱いで片付けてしまっている。今でも私は、韓国人か中国人と間違われることがあったりすると、何故かとても不快な気持ちになり、「日本人ですけど!」と豪語したくなるのだ。欧米人からしたら見分けるのも難しい同じ東アジア人同士なのだが、私はそれでもどこか「彼らとは違う」という偏見をも含んだ日本人としての誇りのようなものが出てきてしまう。

NYという場所は、私が日本人であることが「異端」にはならない。1日の中で、私は何カ国の言葉を耳にしているのだろう。地下鉄、街中、スーパーマーケット、学校、バス・・・。何色の髪の色、目の色、皮膚の色を目にしているのか。車内の窓に映った自分の姿を見て、そこで私が日本人だということを思い出す。誰もじろじろ見たりはしないし、コソコソ話したりもしていない。何か疑問に思うことがあれば、他人でも直接私に聞いてくる、「それ、日本語の辞書?」と言った具合に。何を着ていても平気。逆にお洒落なんかしていようものなら、多くの人に「素敵だね」「可愛いね」と声をかけられる。実際に自分が日本を飛び出し、違う国で生活をし、私が日本で彼らにしていたような対応を受けずにすんでいても、まだ尚、深く心にしみついている私の持つ、東アジア人への偏見。これは立派な人種差別と呼べるものであろう。もう1度、何故か無性に"GO"が観たいと思った日。
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by inBrooklyn | 2006-11-02 15:24 | talk to myself

Ego

先日、久々に大勢のNY在住日本人と一緒にご飯を食べる機会があった。彼らはNY在住歴も長く、10年近い人が(or more)殆どだった。NYにいるover30の彼女らは、とにかく自我が強い。みんなそれぞれ、この異国の地で10年以上もsurviveしているのだから自我も強くなるであろう、商売をしている人なんかは特に強くそれを持たないことには、ここではやっていけない。しかし、同じ日本人として、時にそれは物凄くつまらない。自我が強ければ強いほど、他人の意見に耳を傾けるということができなくなっているので、私からすると彼女らとは一切会話という物が成り立たない。「他人の意見を聞く」という能力に欠けているだ。つまり一方的に私が話を聞くというスタイルになってしまい、何か私が言ったところでそれが彼女らのストライクゾーンから外れている意見ならば滅多切りにされるし、同じだったとしても常に彼女らが主導の会話になる。私が料理をしない、という話になり、ある女性が「あなたは男を不幸にするタイプよね」「料理って言うのはね・・・bla, bla, bla・・・。」と、何故か説教が始まった。彼女の1番いけ好かないところは、そういうセリフを旦那さんの目の前でいうあたり。しかも大勢の前で語ってしまうあたり。私は性格が悪いので「あははー。そうですかねー。すみませーん。」と鍛えられた営業スマイルで対応する。「でたー!!!自分が良い女だということをアピールしながらの他人への説教!!!」などと思いながら。お前が何ぼのもんじゃい?誰かが「彼女、若い頃もの凄く綺麗で、ナイスバディで・・・」と言っており、ふむ、確かに語りにその名残が残ってしまっている。しかし、残念ながらとっくにお前の時代は終わっている。お前は今はただのおばさんだ。そして、そういう女性同士の会話は私とのそれより更に成り立っていない。お互い相手の何も受け入れずに、ただの交代制・自己主張のスピーチの場となっている。それは会話ではない。そしてそのことに誰も気付かぬまま、スピーチだけは延々と続いていくのだ。

私は多分、年上の女性が苦手だ。自分より年上で友人と呼べる人も考えてみると2~3人しかいない。彼女達は年上と言っても悟った語りはしないし、同じ目線で常に物事を捉えてくれる。同じことに感動してくれるし、一緒に泣いたり笑ったり、年が離れていることを忘れてしまうほど。一方で彼女達から学べることは沢山あり、何かあって相談すると、的確な答えをくれる。いつも大きな広い心で私を受け入れてくれる。私も彼女達のように歳を重ねていきたい。このNY在住のstrong womenを見る度に、こういう風にだけはならないように、と心に誓う。実際、年下の友人同士の中で私がどう捉えられているのかは彼女たちの知るところのみ、なのだが笑。
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by inBrooklyn | 2006-10-25 09:39 | talk to myself

No matter what

FITから不合格だろうと思われる通知が来た。TOEFLのスコアがやはり足りないとのこと。minimumの80pointsに達していないのだから、当然の結果であろう。仕方が無い。同時にCUNYにもapplyしているのだが、こちらは一向に返答が無い。銀行の口座からも手数料が引かれていないし、書類を無くされたのであろうか?しかし、ここに来て、私は今、やはり自分の実力が足りないのだということに納得している。無理矢理大学に行かなくとも、今やらなければならないことを着実にやっていくべきなのだろうと思っている。

私は中学・高校時代、英語の成績が常にトップに近く、周りの生徒や友人に比べてもそれは突出していて、"私=英語"という図式は誰もが知っているような状況だった。あまり勉強しなくとも、英語の成績が常に良く、それもあって英語は1番好きな教科だった。他の科目は酷い有様で、大学受験も1勝7敗に終わり、かろうじて受かった亜細亜大学は入試試験が英語と現国のみであったから合格できたようなもので、第1志望の青学や立教での夢の大学生活は無残に散っていった。亜細亜大学に入ると、私の英語力のレベルは山梨にいた時のそれとは比べ物にならず、私より数倍も頭の良い友人に囲まれ、一体私の高校生活は何が基準であったのだろうという疑問さえ湧いた。答えは簡単、偏差値50の学校にいたからなのだが。大学1年時の英会話クラスでもレベル10中、レベル5に振り分けられ、2年時に渡ったアメリカでの留学プログラムでも、1番上クラスのレベルに付いていけず、レベルを下げた。大学時代の友人は、勉強ができ頭が良く、私はどちらかといえば出来損ないの方に値していた。いつからかそれにも慣れ、もっとも、大学で一生懸命勉強することの方が格好悪いという、今考えれば何とももったいないステイタスがあったし、私の大学生活なんてものは、そのまま適当に過ごして、留年もして、知らないうちに卒業していたという有様だ。

私はそう考えると、根詰めて勉強したり、死に物狂いで勉強をした経験が今までに無い。今も死に物狂いで勉強しているのか、と聞かれれば、学校には行っているけれど・・・と答えに詰まる。TOEFLのスコアは受けるごとに上がっているけれど、月日とスコアが比例していない。かなりスロウペースだ。毎日夜中まで勉強している・・・わけでもなく、そしてこれのなんと難しいことか。結局今までやったことが無いものだから、どうやってモチベーションを高め、それを継続させていくのかさえもわかっていないのかもしれない。しかし一方で、どこか私は英語ができる、という高校時代の名残もあり、ちょっとやればできるだろう、というような余裕もどこかにあったりして。しょうもない。結局そんな私だから、当然時間もかかるのであろう。いつか真面目に死に物狂いで勉強する、という日が果たしてくるのだろうか・・・。それでもここまできたらあきらめることなんてできないし、これからもしばらくの間、同じことの繰り返しを続けていかなければならないのだ。
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by inBrooklyn | 2006-10-24 08:04 | talk to myself

Next Stage

f0080357_13384195.jpg今週のNYは先週の猛暑で一気に夏を謳歌したかのように、おとなしい天候に変わった。しかし街全体は夏休み感たっぷりで、毎日通うTimes Squareは観光客で常に賑わっており、逆に地元Brooklynのアルバイト先は閑散としている。私は9月末まで夏休みだというのに、昼間2時間はエクストラの学校に通う日々。最近は面白いように問題が解けるようになってきて、学校も更に楽しくなり、TOEFLに明け暮れている。

語学学校に通いだし、丸1年が経過した。私の解釈では、アメリカにある語学学校とはやはり大学進学を目指すための予備校的なもので、生徒はもちろん私のような英語を母国語としない人で構成されている。つまり語学学校に通い続けるということは、アメリカ人と知り合い・触れ合う機会には殆ど恵まれず、友人もいわゆる「外国人」で構成されるので、「本場の英語」に辿り着くことはない。プラスある程度上のレベルになると、そこから先はどこの学校へ行っても内容に大差は無く、結局のところ、大学に行くレベルまで辿り着けばそれ以上のものは語学学校からは得られない。そしてFITもTOEFLの点数がパスしたからといって確実に入学できるわけではない。来年以降の進路を考え、いわゆる「スベリ止め」的な大学を探し始めたところ、今のTOEFLスコアでも入学できる大学はNYにも沢山あり、この秋からの身の振り方を少し間違えたような気がした。知人に、「とにかく大学に入っちゃったほうが良い」というようなアドバイスを以前受けたことがあるのだが、その時点ではその意味がまだわからずにいた。当時はまだTOEFLクラスの2つ手前のレベルに在籍していたし、そこで精一杯で、大学に行くという意味がまだつかめずにいた。

語学学校と大学では天と地ほど内容が違うであろう。それが例えTOEFLレベルの低い設定をしている大学でも、そこは正に「ザ・アメリカ」で、新しいチャレンジが待っているのだと思う。やはりNYにいる以上は、自分で自分のケツを叩き、常にチャレンジ精神を持って物事に取り組むことが必要だ。ここでは、何かに慣れてしまってはいけないような気がする。私は多分、もう次のステージに行くべきなのだろう。とは言っても、申し込みは半年前。どうあがいても、来年からの入学になってしまうが、とにかく第1志望のFITには入れなかったとしても、絶対に大学生になる。
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by inBrooklyn | 2006-08-10 13:43 | talk to myself

Consideration

高校生までは「友」とは同級生のことだった。1つ上からは「先輩」、1つ下からは「後輩」であり、それは「友」では無かった。初めてできた年下の「友」とは、ダンスで知り合った。もう記憶もさだかではないが、最初はやはり年の差を意識しながらの付き合いだったような気がする。しかし、幼稚園の頃からボスキャラだった私は、この年下の友人たちとの関係にもすんなりと馴染み、何かあればもちろん年功序列でリーダーの役を買って出ていた。それから社会人になり、年月と共に小さかった会社も人員も大きく変わり、私自身も気付いたら部下を抱えるようになっていた。アパレルだったこともあり、新人はおのずと年下ばかり。ボスキャラは不動のものとなっていった。

ここNYに来ても、出会う人はやはり年下が多く、それでもNYというカテゴリーとして捉えると、私はまだ新人類に入るので、ボスキャラを発揮するまでには至ってはいない。先日日本に一時帰国した際に、友人に「再放送の『アネゴ』を観てるんだけど、もうアネゴがまいくんにしか見えなくて」と言われ、思わずNYに戻ってからDVDでアネゴを観てしまった。感想としては、私は彼女ほど、お人好しではない。自分の幸せを投げ打ってまで他人を助けにいったりすることなど、もう無い。もう、と言うのは、社会人になる前は、正にアネゴのような性格だった。その友人とはもう10年もの付き合いなので、彼女にとって私はアネゴそのものなのだろう。

しかし最近では、長い間「上司」であったこと、年齢も三十路を過ぎたこともあって、アネゴはアネゴでも、敬意を示されることが多く、それは何てことの無い日常の中に存在し、私も普通にそれを受け入れていたことによって、ある部分が私に足りなくなっているのだということに気付いた。それは、「気遣い」である。例えば、荷物を持つ、例えば、奥の椅子に座る、例えば、注文をする、例えば、お酒を注ぐ(まあこれは、私はお酒を飲まないので必要の無いものだと思っているのだが)・・・諸々。社会人の時は最高な部下に囲まれ、彼らが何でもやってくれていた。そして知らないうちにそれが当たり前になってしまっていて、そんな風にして、私は「気遣い」に欠ける人間になっていたのだろう。昨日帰国した友人も、気付けば私にcomfortableな選択を常に与えてくれていた。

彼女が大荷物を抱えているのを知っていながら、それを持つということに気が回らなかった私。他人が「荷物持つよ」と言うのを聞いて「ヤベッ」と思うのだが、他人のそのような行動がないと、気付きもしない。多分こういうことは他の場面でも多々あることなのだと思う。今までにも何度か「ヤベッ」と思ったことがあり、特にそのことに対して意識はしていなかったのだが、それは直していかなければいけないところなのだと感じた。
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by inBrooklyn | 2006-07-19 12:28 | talk to myself

1 Year

NYに来てから1年が経った。丁度このBlogを書いている今この時間の1年前に、私の乗った飛行機は成田からNYへと飛び立った。3歳児にとっての1年は今までの人生の1/3に値し、今の私にとっての1年は人生の1/31。歳を重ねるごとに1年過ぎるのがどんどん早くなっていって、それはこれからも加速していく。1年も経った今では、ここNYでの生活は至って普通になり、本当に「当たりまえ」の日々となっている。以前のようにふとした瞬間に、「ああ、ここはNYなんだ」と感激することも無くなった。特に自分を「日本人」として意識することも少なくなり、大抵のことは1人でできるようになった。英語での対応も、知らないうちに日常生活においては全く困らなくなり、気付けばWorld Cupの英語解説も普通に理解できるようになっている。

ここまで書き上げて、さぞかし素晴らしい英語力の上達を期待されそうであるが、もう今となっては、1年前の私がどんな風に全ての物事に対応していていたのかということが、あまり思い出せない。1年前と何ら英語力が変わっていない気もするし、むしろNYデビューしたての私の方が、今よりももっとアグレッシブに何事にもチャレンジしていたし、勉強する気合も充分だった。何事においても、右も左もわからない環境というものは、人に緊張感を与え、潜在能力を発揮させる。慣れてしまえば、そこから先は自分自身との戦いであり、lazyに陥るのはいともたやすい。

誰もが経験することだ、とよく言われているが、正直言って、私の英語力は8ヶ月目辺りから低迷している気がする。語学学校の最終レベルから、その上になかなか上がれない。そして自分を振り返ると、やはり勉強にかける努力が明らかに薄れている。来た当初は、この地で何かを得ようと、勉強だけではなく、全てに対して全力投球していた。そしてここでの生活に馴染んだ今、全力投球で行くべきものは勉強だけになり、それは本当に自分の意思と行動で全てが左右されていく。そう考えると、今こそが「つらい」と思うくらい努力をしなければいけない時期なのだろう。自分で自分のケツを叩き、ストイックに生き、そしてgoalを勝ち取らなければいけない。
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by inBrooklyn | 2006-07-07 12:42 | talk to myself

Over 30

今回の一時帰国でとても驚いたことは、とても多くの人達が結婚し、パパやママになっていたこと。元同僚や上司の殆どがその道を歩んでいて、少しだけ浦島太郎になった気もしたのだが、年齢的にも彼らはover30であるし、それは当然の流れなのかもしれない。それとは別に、私はSoulmateのbabyに初対面を果たしたのだが、やはりbabyの誕生は彼らにとってこの上ない喜びであったし、私自身もとても感動を覚えた。プチプチでムチムチのbabyはどうしたって可愛いし、どうしたって初体験でてんやわんやだし、babyだけでなく、彼らパパやママもそうやって新しい人生経験を積んでいくのであろう。

そんな風に沢山の結婚話やbaby話を聞いたり、見たりしてきたが、私にとっての「結婚」や「baby」は今や全く現実味の無いものになっていて、NYに来たことで、それは本当にもっと先の遠い話になった。むしろこれから通うであろう語学学校、大学、就職先には、数え切れないくらいの出会いと可能性が待っている。学生の頃や社会人になりたての頃、今と同じようなことを感じて、付き合っていた彼がいても、これから自分に起こるであろう様々なことに期待で胸を膨らませ、結婚など考えられなかった。そう考えると、友人たちが経験する「出会い」と、私が経験する「出会い」、どちらも同じ「出会い」だが、そこには「家族」と「友人」という大きなカテゴリーの違いがあり、改めてこの今の年代の面白さを感じる。なんだか私だけがみんなとは全く違う方向へ進んでいるようだが、ジャガー横田氏・44歳での御懐妊により、私の目標の35歳ももう少し引き伸ばせるような気がしている。そしてNYにいると、年齢のことを本当に忘れてしまう。少し前までは学生の自分に抵抗を感じたりもしていたが、最近では学生以外の何者でもなくなり、気分は21歳くらいと言ったところであろうか。まあ、勘違いの切ない系30代にだけはならないように注意しながら。
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by inBrooklyn | 2006-05-24 12:20 | talk to myself